2012年6月2日土曜日

音と音楽

日本人には音その物の美しさを求めるということ基にある。
鈴虫や水を打つ音などは昔から日本人に愛されてきた音の一つ。
でもその音たちは美しいけれど音楽ではないね


そんな話を先生がしてくださった。

声の美しさはあるに越した事はないけれどそれと音楽の美しさを一緒にしてしまうのとは違うのではないか。

ベル・カントとは声の美しさではなく旋律の美しさ

そう、西洋音楽史でも確かそう習った。

カストラートなどがもてはやされた歌手重視の派手な装飾音符ばかりがめだつようになってしまった時代から音楽そのものに重きをおくようになって

そして出てきたベルカントの時代

ベッリーニやドニゼッティの時代だったと思うのだけど。

それまでの装飾音符いっぱいの器楽にもまさる技術い世界から一転してゆったりと美しい音楽になるのかと思いきや、美しい旋律を奏でるためには地味な作業がいっぱい。
カデンツァがなくなったわけでもなしに。心が折れる細かい音符の数々は健在だし、長いフレーズだってそれはそれは難しい。

器楽の人たちはそ同じフレーズを出来るまで毎日何百回と繰り返す。なぜ歌い手だけはそれをやらないの?
声が疲れるから?
声が疲れるのはやり方の問題。
同じフレーズを何百回と練習していると最初はつらいけどのってくると出来るようになるし楽しい物だよ。
できないもには日々も努力しか出来るようになる手立てはない。

そんなお話

と、ここに先生の言葉を記して自分を奮い立たせよう大作戦。

単音だけ出してればいいってわけじゃないんだものね。

そうだ。音楽でやりたいことができるようにならなきゃ。

そのためには練習だよね。

なんとなく声だけ出して終わってる日あるよね。


ここ毎日色々な事に追われててんてこ舞いだけれどこれは忘れないように。。。。

今日は珍しくミッシェルでも食べ物なく音楽の話でした。


Asako Watanabe 渡邉麻子

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