論文作成中には先生に心配されるほど歌えず。
眠れていなかったので、歌えるはずもなく。。。。
論文提出は実技試験二週間前までということだったので、論文提出から二週間必死。
必死
とはいえ、試験一週間前にカーニヴァルが重なりレッスンもなく、
カーニヴァルとともに母が友人たちと大量のお土産とともに激励滞在。
一緒に過ごし、出歩いていたら風邪をひき。
バテバテでした。
ただ、試験まで残れない母のために先生が特別に小さな演奏会のようにレッスンをしてくださり、感謝感激でした。
その後母が帰国してからは発熱、風邪とともに最悪になり三日間家から出ずに
薬漬けで寝ていました。
木曜日に母の帰国、そして次の月曜日が試験ということで、本当に気分は鬱々でしたが、
沢山の友人が試験を見に来てくれるということでとにかく治すことに専念。
母が帰国前に買ってくれたジンジャーシロップと毎日手作りのはちみつレモンで身体を温め、
ネギを食べ、しょうがを食べ、寝る、寝る、寝る。
そうして迎えた月曜日。
試験後家で行うパーティの食材準備と自分の歌の試験の準備でなんとなくほわーっとしつつ。
あ、試験の費用払い忘れてた
と郵便局へ向かい一時間並び。
郵便局の人に、あ、卒業するの?といわれ(振込理由がDIPLOMAと記入していたためすぐわかった)
今日試験なんですよね
というと、
別の窓口からも頑張れー、うちの娘もチェロで卒業したけど、音楽の道は厳しいぞ、でも前へ進むのみだ!!と励まされ。
そんなこんなしながら、音楽院へ
同期の友人ふたりの試験をしている間、腹痛に悩まされ。
思い返せば本当に緊していたのだなぁと。
最終試験ということで、今回はアレッツォの家族も早朝から車に乗ってほぼ全員でやってきてくれて、そしてこの土地で知り合った沢山の友人たちが来てくれたことでテンションがあがり。
プログラム終盤バテてもうダメかもとおもったりもしたのに本当に歌いきれた事が嬉しかった。
歌い終わって水を飲む暇もなくそのまま審査員席から呼ばれ論文審査。客席からたくさんの目が見守る中での口頭審査は逆に気楽な気分。
いくつかの質問を終えて
tutti fuori!(全員外に出て)
という言葉教授の言葉とともにお客さんたちと一緒に控えの間でしばらく歓談しつつ審査結果をまち、
15分ほど。。。
師匠に呼ばれ、審査員席に行き、みんなが見守る中審査員長から言い渡された点数は
満点+称賛!
のマックス!!!!
欲しかったこの点数!!!!
本当に本当に嬉しくて思わずガッツポーズをしてしまいました。
この点数は本当にいろんな人の助けによるもので今感謝の気持ちいっぱいです。
その後、友人たちから沢山のプレゼントとイタリア式の卒業の冠、花束、友人たちに配るお菓子はアレッツォの家族が前日に作って持ってきてくれ、イタリア人でない私もイタリア人のように卒業のセレモニーを終えました。
まだまだ整理しきれていないけれども、震災後おもむろに、勉強しなきゃと思って決めた留学
いろんなことがあったけど本当に、この街に来てよかったし、ここで会えた人たち、日本から、香港から、フランスから、世界中に散らばっている私を応援してくれ、励ましてくれてくれた人たちに本当に感謝です。
試験後友達がくれた寄せ書きノートは私の宝物。
写真は余裕がなかったので友人たちからいただいたもののみです。
思いのほかたくさんの方に来ていただいて、たくさんプレゼントをいただいて、その後のパーティもアレッツォの家族が残ってくれたり、幸せいっぱいの月曜日でした。
でも、火曜日は具合が悪くて一日中寝て暮らしました。
卒業!!
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2015年2月27日金曜日
2015年2月26日木曜日
卒業~論文~
なんと、しばらくブログを更新しないうちに、音楽院を卒業しました。
音楽院の新学期は11月から始まるのですが、実質ほとんどの授業を昨年度内に終わらせていたので、ほとんどふわーっとしながら、論文を書かなければいけないという重い現実を背に生きていました。
ほとんど何も手につかずに、
はぁ・・・
あーーーーー
うぉーーーー
とか言いながら、歌もまともに歌わずに論文のためにプッチーニの本をひらき、ネット検索をしまくりつつも
読めない・・・
目が・・・
頭が・・・
字を拒否する・・・
とゴネ
クリスマス明けは周りに歌うこともうまくいかず、周りに当たり散らし
イタリア語で書くなんて無理!!!
と泣きつつも
友人、先生たちの援護のもと最後二週間でなんとか書き終わりました。
本当に感謝という言葉しか浮かばない論文作成期間でした。
論文は完璧!
とは言えないですが、好評でした。
ありがとう、ありがとう。
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音楽院の新学期は11月から始まるのですが、実質ほとんどの授業を昨年度内に終わらせていたので、ほとんどふわーっとしながら、論文を書かなければいけないという重い現実を背に生きていました。
ほとんど何も手につかずに、
はぁ・・・
あーーーーー
うぉーーーー
とか言いながら、歌もまともに歌わずに論文のためにプッチーニの本をひらき、ネット検索をしまくりつつも
読めない・・・
目が・・・
頭が・・・
字を拒否する・・・
とゴネ
クリスマス明けは周りに歌うこともうまくいかず、周りに当たり散らし
イタリア語で書くなんて無理!!!
と泣きつつも
友人、先生たちの援護のもと最後二週間でなんとか書き終わりました。
本当に感謝という言葉しか浮かばない論文作成期間でした。
論文は完璧!
とは言えないですが、好評でした。
ありがとう、ありがとう。
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