イタリアに来て後少しで半年になります。
最初の三カ月は学校もなくて、もちろんレッスンもなかったし
生活基盤を作るので精一杯だった毎日でしたが、
11月から学校が始まり見えてきた色々なこと。
自分は何が変わったのか
ふと考えたのですが
うむ。
確実に変わったのは
歌うときの「言葉」の扱い
自分のレパートリーに対する認識
この二つでしょうか。
発声的には、私はやはり日本でとてもいい師匠に巡り合えていて、日本で悩みもがいた分
こちらでそんなに困ることはありません。
むしろ、こちらの人たちに褒められる(私ではなく一緒にこうやって作ってくださった日本の先生を・・・私も褒めてw)
日本にいるころから言葉に対しては気を使ってはいましたが(ほんとかよ・・・って言わないで)
今はイタリア語!として認識するよりもっともっと近い言葉として考えることができるようになって来ています。それは、とても感覚的で単語の意味を知って言葉を発するとかそういうものとまた違うもの。留学するにあたってこれはほしいと思っていた事だったので少しうれしい変化です(かなり抽象的で自分の中でしかわからないことかな)
ただ、勉強して単語がわかってイタリア語の歌を歌うということと、生活の中にイタリア語があって歌う事は絶対に違うとわかっていても日本にいるだけではわからなかった。しかも、イタリア人はしゃべり声がまず違う。これもわかってたけど、イタリア人とイタリア語に囲まれて初めて自分に降りてきた感覚。
二つ目のレパートリーに関していうと。
日本で今考えられている歌手の声種とレパートリーってずれてるかもね。
ということですので、若干驚きと恐ろしさを感じています。
幸い、今まで日本で勉強してきたヴェルディの作品は使えるところにいるのですが。
プッチーニがミミは私から去りゆき、トゥーランドット姫が私に近づいてきています。
ちなみに、ワーグナーのイゾルデ姫も。
とにかく、とりあえず、自称がリリコからリリコスピントになりそうです。
正直、えぇー。と思って最初抵抗していまたけどw
先生からなぜか説得までされ
今は
ま、そういえばスピントの曲やってるし、そうか・・・。
と思いながら歌ってます。
でもドラマティコにはなりたくない。
とりあえず、ヴェルディ、ワーグナーの生誕200年のこの記念の年に私はいいレパートリーを持っている。
ということにしておきます。
ふふふ。
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